Space/宇宙
10倍の速さで失われる骨
Chika
2026/8/23
海の星、地球のストーリー100_#004
骨と老化の意外な関係——宇宙飛行士の骨密度と2025年の新発見
前回書いたように、国際宇宙ステーションに長期滞在した宇宙飛行士の大腿骨の骨密度は、ひと月に1.0〜1.5%失われる(1)。地上の骨粗鬆症患者のおよそ10倍の速さだ。今回は、このメカニズムと、2025年に報告されたばかりの新しい発見、そして海の高圧環境が骨に与える影響について、もう少し深く書いていく。
骨吸収と骨形成、崩れるバランス
骨は生きている組織で、「壊す(骨吸収)」と「作る(骨形成)」という代謝を絶えず繰り返しながら、強度と構造を維持している(2)。古くなった骨を破骨細胞が溶かして壊し、そこに「ここを直せ」という指令が出て、骨芽細胞が新しい骨を形成する。地上では、歩く・立つといった動作で骨に力学的な負荷がかかることが、この指令をコントロールする重要な要素になっていると考えられている(2)。
無重力環境では骨への力学的な負荷がなくなり、骨吸収と骨形成のバランスが崩れる(3)。骨のカルシウムが血中や尿へ溶け出し、骨密度が低下すると同時に、尿路結石のリスクも高まる。ISSでは毎日約2時間の運動プログラムが組まれているが、運動だけでは骨量減少と尿路結石を十分に予防できていない(3)。
2025年、血液を作る幹細胞にも「老化」が見つかった
骨だけではない。2025年9月、UCサンディエゴ・サンフォード幹細胞研究所の研究チームは、スペースXの補給ミッション4回にわたってAI駆動のナノバイオリアクター装置をISSへ送り込み、血液や免疫を作り出す造血幹前駆細胞(HSPC)を宇宙空間で培養・追跡する実験を行った(4)。細胞は32〜45日間ISSに滞在した。その結果、健康な新しい細胞を生み出す能力の低下、DNA損傷への脆弱性の増加、染色体末端(テロメア)の早期老化という、加齢を思わせる変化が確認された(5)。研究を率いたジェシカ・ファム氏らの成果は、学術誌『Cell Stem Cell』2025年9月号に掲載されている(5)。なお、こうした老化現象の一部は、細胞が地上の健康な環境に戻ると回復することも分かっている(6)。
「私が最初の被験者」——若田宇宙飛行士の決断
骨量減少を防ぐ薬の研究には、宇宙飛行士自身の協力が欠かせない。骨粗鬆症の治療薬であるビスフォスフォネート製剤を使えば、長期宇宙滞在中の骨量減少と尿路結石のリスクを軽減できるのではないかという発想から、フランス国立宇宙センター(CNES)との共同で2001年から2002年にかけて長期ベッドレスト実験が行われた(7)。
長期ベッドレスト実験——頭を足より約6度下げた状態で長期間ベッドに横たわり、宇宙の微小重力環境が人体に与える影響や対策を調べる、地上での宇宙医学実験——は、「寝たきりの状態は骨に負荷がかからないため、宇宙の微小重力環境と同じ」という考え方を利用している(8)。
被験者は3ヶ月間、食事も排泄もベッドの上で行いながら寝たきりの状態を続けた。その結果、大腿骨の骨密度は1ヶ月あたり2%以上も減少し、これは実際にISSで運動器具を使いながら長期滞在した宇宙飛行士の骨密度低下(1ヶ月あたり1.5%程度)よりも大きい減少率だった。X線検査では、砂状の尿路結石が被験者の3人に1人の割合で検出された(8)。一方、ビスフォスフォネートを投与された被験者では、実験終了後も骨量に変化はなく、尿路結石も見られなかった(8)。この地上実験での有効性の確認が、ISSでの本格的な臨床試験へとつながっていく。
これを受けてJAXAとNASAが計画したISSでの共同実験では、被験者集めが難航した。薬の副作用で歯が悪くなる不安や、「骨が減っても帰還後に元に戻るから必要ない」という声が相次ぎ、誰も同意しなかった(2)。実験が暗礁に乗り上げかけたとき、真っ先に手を挙げたのが若田光一宇宙飛行士だった。「私が最初の被験者(実験台)になる」と語り、率先して引き受けると、その後7〜8人の宇宙飛行士が続いて協力を申し出た(2)。若田飛行士自身、帰還後の骨密度測定では、宇宙へ行く前と比べて低下は見られなかった(1)。
海の高圧環境と骨——潜水士の減圧性骨壊死
骨については、海洋環境でも興味深い報告がある。高圧環境と、浮上時の急激な減圧によって起こる「減圧性骨壊死(無腐性骨壊死)」だ。潜水士や潜函作業者に、急性の減圧症とは別に、慢性の骨壊死が発症することは、1911年のBornsteinの報告、1941年のGrutzmacherの報告以来知られてきた(9)。
高圧環境から常圧に戻る際、体内に溶け込んでいた窒素ガスが気泡化し、骨への血流を阻害することで骨組織が壊死する(10)。骨壊死は大腿骨頭だけでなく、肩関節など他の骨にも高頻度に発生することが特徴とされる(9)。
発症率は職業によって大きく異なる。潜水士や潜函作業者など「高気圧作業者」における減圧性骨壊死の発症率は、文献レビューによれば最高70.6%にのぼる(11)。九州・佐世保での調査では、段階的な安全停止を行わずに潜水を続けていた密漁潜水グループ14例のうち9例(61.5%)に骨壊死が確認され、うち4例には自覚症状があった(11)。一方、レジャーダイバーにこの障害が起きることはまれで、圧縮空気環境下で働く人や、頻繁に深い水深で作業する職業ダイバーに多くみられる(10)。症状が進行し関節面に変化が及ぶと、人工関節置換術以外に有効な治療法がない(10)。
宇宙では重力の消失が骨吸収と骨形成のバランスを崩し、海では圧力の急激な変化が骨への血流を断つ。引き起こされ方はまったく異なるのに、どちらも骨という組織の「代謝」あるいは「血流」という、普段は意識することのない仕組みの脆さを、極限環境が浮かび上がらせている。
地上の骨粗鬆症治療への応用
日本の骨粗鬆症は、決して宇宙や海だけの話ではない。40歳以上の推計患者数は1,590万人(男性410万人、女性1,180万人)にのぼるが、実際に治療を受けている総患者数は138万7,000人にとどまる(12)。推計患者の1割にも満たない。
JAXAが進めるマウスやメダカを使った宇宙実験は、こうした地上の治療にも接続されつつある。「きぼう」日本実験棟での動物実験について、JAXAの担当者は、骨量減少だけでなく筋萎縮も含めた高齢者医療への貢献が期待できると述べている(13)。個体としての影響を遺伝子レベルで解析できる哺乳動物実験は、ヒトの疾病治療研究に応用しやすいという利点があるという(13)。超高齢社会を迎える日本にとって、宇宙という極限環境での発見が、地上の医療へと還元されていく構図がここにある。
重力変化のコントロール、予防とリハビリテーション
宇宙飛行士の骨は、ひと月で1%以上を失いながらも、地上に戻れば時間をかけて回復していく。潜水士の骨は、圧力の急激な変化によって血流を断たれ、時に不可逆的な損傷を負う。一方で、2025年に見つかった血液幹細胞の老化のように、細胞レベルでは戻りきらない変化も残されている。
骨密度の低下も、幹細胞の老化も、減圧性骨壊死も、突き詰めれば「重力(や圧力)の変化が、体にどのような影響を与えるか」という一つの問いに行き着く。私は、この重力変化と骨に与える重大な影響についての研究を進めていくことで、プレミッション(渡航前)・インミッション(滞在中)・ポストミッション(帰還後)それぞれの段階に応じた、予防・運動・創薬・リハビリテーションといった具体的なソリューションを生み出せると考えている。
次回は、骨だけでなく細胞の中の時計——テロメアの物語に踏み込む。NASA双子研究が示した意外な発見と、2025年に投げかけられた新しい疑問について書いていく。
参考文献
(バンクーバー方式:本文中の引用順に番号を付与。書誌情報はSISTスタイルに準拠)
(1) 宇宙航空研究開発機構. "国際宇宙ステーション長期滞在を経験して". JAXA. https://www.jaxa.jp/article/special/expedition/wakata02_j.html, (参照 2026-08-23).
(2) 宇宙航空研究開発機構. "地上での医療にも貢献する宇宙医学実験". JAXA. https://www.jaxa.jp/article/special/expedition/matsumoto01_j.html, (参照 2026-08-23).
(3) 宇宙航空研究開発機構. "生理的対策 : 宇宙医学". JAXA有人宇宙技術部門. https://iss.jaxa.jp/med/research/physiological/, (参照 2026-08-23).
(4) University of California San Diego. "Spaceflight Accelerates Human Stem Cell Aging, UC San Diego Researchers Find". UC San Diego Today. 2025-08-28. https://today.ucsd.edu/story/spaceflight-accelerates-human-stem-cell-aging-uc-san-diego-researchers-find, (参照 2026-08-23).
(5) Pham J, Isquith J, Balaian L, et al. "Nanobioreactor detection of space-associated hematopoietic stem and progenitor cell aging". Cell Stem Cell. 2025, vol.32, no.9, p.1403-1420.e8. https://www.cell.com/cell-stem-cell/fulltext/S1934-5909(25)00270-X, (参照 2026-08-23).
(6) Phys.org. "Spaceflight accelerates human stem cell aging, researchers find". Phys.org. 2025-09-04. https://phys.org/news/2025-09-spaceflight-human-stem-cell-aging.html, (参照 2026-08-23).
(7) 宇宙航空研究開発機構. "宇宙医学の背景 : 宇宙医学". JAXA有人宇宙技術部門. https://iss.jaxa.jp/med/about/background/, (参照 2026-08-23).
(8) 宇宙航空研究開発機構. "地上での医療にも貢献する宇宙医学実験(2)". JAXA. https://www.jaxa.jp/article/special/expedition/matsumoto02_j.html, (参照 2026-08-23).
(9) 川嶌眞人, 野呂純敬. "特集:ダイバーの事故と安全対策 減圧性骨壊死". 2024. https://kawashimahp.jp/articles/hbo_and_diving-medhicine/1994-mh_kawashima-dysbaric_osteonecrosis.pdf, (参照 2026-08-23).
(10) MSDマニュアル家庭版. "減圧症". MSDマニュアル家庭版. https://www.msdmanuals.com/ja-jp/home/25-外傷と中毒/潜水や圧縮空気による障害/減圧症, (参照 2026-08-23).
(11) 著者不明. "比較的若年の潜水漁漁師にみられた減圧性骨壊死". 産業衛生学雑誌. 2017, vol.59, no.2. https://www.jstage.jst.go.jp/article/sangyoeisei/59/2/59_16-019-D/_html/-char/ja/, (参照 2026-08-23).
(12) 日本生活習慣病予防協会. "骨粗鬆症". 生活習慣病の調査・統計. https://seikatsusyukanbyo.com/statistics/disease/osteoporosis/, (参照 2026-08-23).
(13) 三菱電機. "宇宙で急激に進む「老化」が骨粗しょう症治療の救世主に!?". DSPACE. 2014-02-14. https://www.mitsubishielectric.co.jp/me/dspace/column/c1402_1.html, (参照 2026-08-23).
xerograv. (ゼログラヴ)の「海の星、地球のストーリー100 LIFE WITH OCEAN」
xerograv. (ゼログラヴ)の「海の星、地球のストーリー100 LIFE WITH OCEAN」は、実体験や研究に基づいた海・地球・宇宙をテーマとし、そこに息づく生命について考察するブログ企画です。
xerograv. BLOG TOP
https://xerograv.co.jp/blog/
xerograv. TOP
https://xerograv.co.jp/