Space/宇宙
NASA、宇宙探査を支える12件の新しい研究課題を発表(1)
Chika
海の星、地球のストーリー100_#006:
記憶する遺伝子、蝕まれる背骨、揺らぐタンパク質、老化する脳と心臓、そして塵と孤立——6つの精密医療研究:
2026年9月14日、NASAは宇宙探査を支える12件の新しい研究課題を選定したと発表した。6件は宇宙で食料を生産する能力を高める「宇宙農業(Space Crops)」分野、残る6件は宇宙探査に特有の環境が宇宙飛行士の健康や生理機能にどう影響するかを解明する「精密医療(Precision Health)」分野の研究だ。2026年度から2030年度にかけて、総額700万ドル以上の助成金が拠出される予定で、採択された研究者は8つの州にまたがる10の研究機関に所属しており、12件のうち9件は、この宇宙生物学プログラムから初めて資金提供を受ける研究者によるものだという(1)。今回はこの中から、私たちxerograv.の研究とも重なりの深い、精密医療分野の6つの研究すべてを、それぞれの核心に踏み込んで書いていく。
遺伝子は、経験を覚えている——エピジェネティックな記憶
ノースダコタ大学のアーチャナ・ダサラシー氏が取り組むのは、微小重力と放射線への曝露に対して、体が「エピジェネティックな記憶」という仕組みを適応の手段として使っているのではないか、という研究だ(1)。
エピジェネティクスとは、DNAの配列そのものを変えずに、遺伝子が働く・働かないを切り替える化学的な目印(メチル基の付加など)によって、体の反応の仕方が変化する仕組みを指す。免疫を例にとると、一度活性化されたことのある免疫細胞は、同じ抗原に再び出会ったとき、初めて出会うときよりも速く強く反応する。これは「適応的な転写記憶」と呼ばれ、こうした記憶の形成にエピジェネティックな仕組みが深く関わっていることが分かっている(2)。
この「一度目の経験が、二度目以降の反応を変える」という仕組みは、「エピジェネティック・プライミング(下準備)」と呼ばれ、免疫だけでなく、植物の高温・乾燥・浸水ストレスへの適応など、幅広い生物で報告されている。一度目のストレスにさらされた際、遺伝子そのものは変化しないまま、その遺伝子が読み取られやすい状態(開いたクロマチン構造)だけが記憶として保持される。この状態は、二度目に同じ種類のストレスが訪れたとき、より速く、より強く、あるいはより低い刺激でも反応できるように、細胞をあらかじめ「準備」させておく(3)。
ダサラシー氏の仮説は、この仕組みが微小重力や放射線への曝露でも働いているのではないか、というものだと考えられる。たとえば、最初の宇宙飛行やミッション初期の曝露が、DNA修復に関わる遺伝子や、細胞が重力を感知する仕組みに関わる遺伝子を「プライミング」しておき、その後に繰り返される、あるいはより長期化する曝露に対して、体がより効率よく対応できるようにしている可能性がある。そうだとすれば、これは単なる後遺症ではなく、体が極限環境に適応するために自ら備えている仕組みだということになる。
この記憶という仕組みは、以前この連載で紹介したNASA双子研究とも無関係ではない。双子研究では、宇宙飛行によって生じた遺伝子発現の変化のうち、地球に帰還してから6ヶ月が経過してもなお、約7%が元の水準に戻らないままだったことが分かっている(4)。こうした持続的な変化は、遺伝子発現やテロメアの長さ、エピジェネティックな再構成として現れることが、その後の研究でも報告されている(5)。この記憶が、次に同じ環境に置かれたときに体を守る適応として働くのか、それとも免疫の乱れや細胞老化、がん化のリスクを高める負の遺産として残るのかは、まだ十分に分かっていない。
重力から解放された背骨は、なぜ痛むのか
カリフォルニア大学バークレー校のグレース・オコンネル氏は、微小重力と放射線が脊椎に与える影響が、地球に帰還し回復した後もどれだけ持続するのかを追跡する(1)。オコンネル氏はUCバークレー機械工学科の教授で、椎間板や軟骨といった軟部組織の生体力学を専門としてきた研究者だ。
この研究の核心には、具体的な数字がある。NASAの宇宙飛行士は、一般人や軍のパイロットと比べて、椎間板ヘルニアを起こすリスクが4.3倍も高く、実際に帰還した宇宙飛行士の10人に1人が、多くは帰還後1年以内にヘルニアを経験している。さらに、脊椎の骨密度は宇宙飛行後2年が経っても完全には回復しない一方、脊椎まわりの筋肉は1年ほどで比較的早く回復するなど、組織によって回復のスピードがまったく異なることも分かってきている(6)。骨・筋肉・椎間板という組織ごとに異なる回復曲線のどれが、実際のヘルニアや腰痛のリスクを左右しているのかは、まだ特定されていない。
これは学術的な関心にとどまらない。椎間板ヘルニアを起こせば、地球に帰還した宇宙飛行士が仕事に復帰できるかどうかだけでなく、火星のような目的地に着陸した宇宙飛行士が、地球のような長い回復期間を経ないまま、その場ですぐに肉体労働をこなせるかどうかにも直結する(7)。オコンネル氏の研究は、どの組織の、どのくらいの期間続く変化が、この火星着陸後のリスクに最も影響するのかを見極め、地上に戻ってからではなく、ミッションの設計段階で対策を組み込むための土台をつくろうとしていると言える。
タンパク質のわずかな揺らぎを、原子レベルで覗く
ピッツバーグ大学のメルト・グル氏が採択されたのは、宇宙飛行に特有のストレス下で、病原性を持つ遺伝子変異がタンパク質にどのような影響を及ぼすのかを、全原子分子動力学シミュレーションを使って調べる研究だ(1)。
分子動力学シミュレーションとは、タンパク質を構成する一つひとつの原子の動きを、物理学の法則に基づいてコンピューター上で再現する手法だ。タンパク質は溶液中で絶えず小さく揺れ動いており、この動きを実験だけで詳細に捉えることは難しい。分子動力学シミュレーションは、この目に見えない揺らぎを原子スケールで可視化し、変異によってタンパク質の構造や動き、機能がどう変わるのかを推定できる(8)。グル氏の研究室はこれまでも、新型コロナウイルスのオミクロン株の変異が、ウイルスに結合するナノ抗体の効き目にどう影響するかといった研究に、この手法を応用してきた(9)。
これを宇宙飛行に当てはめると、地上では無害、あるいは軽微な影響しか持たないとされる遺伝子変異が、放射線や微小重力といった宇宙特有のストレスが加わることで、タンパク質の構造をより不安定にし、病気を引き起こす方向に働いてしまう可能性を、実際に人体で試すことなく、コンピューターの中で先回りして調べられるということになる。
血液の代謝物が語る、「生物学的年齢」——脳と心臓の老化axis
このシリーズでこれまで書いてきた「宇宙は老化を早めるのか」という問いに直結する研究もある。ピッツバーグ大学のサトシ・オカワ氏は、宇宙飛行が脳と心臓を結ぶ老化の連鎖にどう影響するかを調べ、その影響を軽減できる可能性のある、既存の薬を転用する方法を研究する(1)。
まず、「脳と心臓を結ぶ老化の連鎖(heart-brain axis)」とは何かを説明しておきたい。脳は心臓が送り出す血液量(心拍出量)に依存しており、加齢とともにこの依存度はさらに高まっていく。また、血管の内側を覆う内皮細胞が老化すると、血管を広げる働きを持つ一酸化窒素が減り、老化した内皮細胞自身が炎症性の物質をまき散らすようになる。この炎症物質が全身を巡って脳血管にまで届くと、脳血管の内皮も傷み、血液脳関門(脳を守るフィルターのような仕組み)の透過性が高まって、炎症がさらに脳の中にまで及んでしまう(10)。つまり、心臓や血管の老化は、それだけで完結するものではなく、血流と炎症という2つの経路を通じて、脳の老化にまで波及していくというわけだ。
宇宙飛行は、まさにこの経路の入り口にあたる心臓と血管に負荷をかけることが分かっている。飛行初期には心拍出量が増える一方、長期的には心臓の左心室の質量が一時的に減少するといった構造的な変化や、不整脈の増加、血管内皮の機能不全、血管の早期リモデリング(作り変え)が報告されている。地球に帰還した後も、炎症マーカーの上昇を伴う内皮機能不全が数週間にわたって続くことがあるという(11)。心臓と血管がこれだけのストレスを受けているとすれば、その先につながる脳の血流や炎症状態にも、当然しわ寄せが及んでいるはずだ、という発想が今回の研究の土台にある。オカワ氏は血管医学と計算生物学を専門とする研究者で、その上で、老化を早めているのが心臓なのか血管なのか脳なのかを見極め、それぞれの経路に効く既存の薬を転用できないかを探ろうとしている。新薬を一から開発するのではなく、すでに安全性が確認されている薬を転用するというアプローチは、開発期間とコストを大きく抑えられる現実的な戦略でもある。
月の塵と、老いた免疫細胞
モンタナ大学のアンドリー・ホリアン氏が取り組むのは、加齢が「粒子誘発性の慢性炎症」にどう寄与するかという研究だ(1)。ホリアン氏はこれまで、カーボンナノチューブなど微細な粒子が肺の中でどのように慢性炎症を引き起こすかを研究してきた毒性学者だ。
肺に入り込んだ微細な粒子は、通常「肺胞マクロファージ」という免疫細胞に取り込まれ、細胞内の「リソソーム」という小さな袋の中で分解・処理される。ところが、月の砂のように鋭く角ばった粒子は、このリソソームの膜を傷つけ(膜透過性の亢進)、炎症を引き起こすシグナルを過剰に発生させてしまうことがある(12)。月に降り立ったアポロ宇宙飛行士12人全員が「月面花粉症」と呼ばれる呼吸器症状を経験している(13)のは、まさにこの仕組みが働いた結果だと考えられる。
ホリアン氏の研究の核心は、ここに「加齢」という軸を重ねる点にある。ただしこれは、宇宙飛行士の暦年齢(実際の年齢)の話ではなく、免疫細胞そのものの老化という、暦年齢とは必ずしも一致しない、細胞レベルの現象を指す。老化が進んだ免疫細胞は、若い細胞に比べて炎症を収める働きが弱まり、慢性化しやすいことが知られている。つまり、同じ量の月の砂を吸い込んだとしても、細胞レベルでの老化が進んだ免疫システムを持つ人の方が、炎症がより長引き、より重症化する可能性がある。ジェロサイエンス(後述)の考え方に沿えば、こうした細胞老化の進み具合は個人差が大きく、また将来的には測定・介入の対象にもなりうるものだ。宇宙飛行士の選抜を暦年齢で一律に区切るという発想ではなく、一人ひとりの免疫細胞の老化状態を把握し、必要に応じて対策を講じるという、より精密なアプローチにつながる視点だと言える。
二酸化炭素、放射線、孤立が重なるとき
精密医療分野でもう一つ目を引くのが、複数のストレス要因を組み合わせて調べる研究だ。フィラデルフィア小児病院のユン・サンヒ氏は、宇宙船内で生じやすい高濃度の二酸化炭素環境(高炭酸ガス血症)が、宇宙放射線や社会的孤立と組み合わさったときに、老化の様々な兆候にどう影響するかを、システム生物学的な手法で分析する(1)。
ここでいう「老化の兆候」とは、老化研究の分野で広く使われている「老化の12の特徴(aging hallmarks)」という枠組みを指す。[細胞間コミュニケーションの変化、細胞老化、慢性炎症、栄養感知の異常、オートファジー(自食作用)の機能不全、腸内細菌叢の乱れ、エピジェネティックな変化、ゲノムの不安定化、タンパク質恒常性の喪失、ミトコンドリア機能不全、幹細胞の枯渇、テロメアの短縮という12項目からなり、これらが進むほど老化が進み、改善されれば健康が改善するとされている(14)。
ユン氏は、これまで宇宙放射線が脳や腎臓に与える影響を、遺伝子・タンパク質・代謝物にまたがる網羅的な手法で調べてきた研究者だ。実際の宇宙船内では、二酸化炭素濃度が地上より高い状態が続き、放射線を浴び続け、なおかつ長期間狭い空間で孤立した状態に置かれる、という3つのストレスが同時に、しかも継続的にかかり続ける。しかし従来の研究の多くは、これらを一つずつ切り離して調べてきた(15)。ユン氏の研究の核心は、この3つを組み合わせたときに初めて見えてくる、単独では説明できない相乗的な老化の進み方があるのではないか、という仮説にある。
老化研究の最先端
「精密医療(Precision Health)」分野の研究課題として選定された6件のうち、半数近くが「老化(aging)」をテーマにしていることに気がついた読者も多いだろう。老化研究は現在のライフサイエンスの世界で最先端かつ最も熱い分野のひとつだ。かつて老化は「誰にも避けられない、自然な生理現象」とされてきたが、現代の科学は「ある程度コントロール可能な、あるいは治療の対象にすらなりうるプロセス」だという見方へと軸足を移しつつある。この分野は「Geroscience ジェロサイエンス(老年科学)」や「Longevity ロンジェビティ(長寿科学)」と呼ばれている。
NASAの「プレシジョン・ヘルス」のロードマップでも、明確に「Leveraging space to unlock the secrets of aging and disease(宇宙を活用して老化と疾患の秘密を解き明かす)」と謳われている(16)。宇宙生物学が、地上のジェロサイエンス・ロンジェビティ研究の最前線と、完全に軌を一にしていることを示す証拠だと言える。このテーマについては、xerograv.のコアテーマとしてさらに探索していく。
次回は、宇宙農業(Space Crops)分野の6つの研究について、同じように一つひとつの核心を描いていく。
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## 参考文献
(バンクーバー方式:本文中の引用順に番号を付与。書誌情報はSISTスタイルに準拠)
(1) NASA Science Editorial Team. "New Crops, Health Research Proposals to Help NASA Advance Exploration". NASA Science. 2026-09-14. https://science.nasa.gov/science-research/biological-physical-sciences/new-crops-health-research-proposals-to-help-nasa-advance-exploration/, (参照 2026-09-21).
(2) Denton AE, Russ BE, Doherty PC, Rao S, Turner SJ. "Multi-layered epigenetic mechanisms contribute to transcriptional memory in T lymphocytes". PMC (National Library of Medicine). https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4422045/, (参照 2026-09-21).
(3) Brzezinka K, et al. "Arabidopsis FORGETTER1 mediates stress-induced chromatin memory through nucleosome remodeling". PMC (National Library of Medicine). https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC5040591/, (参照 2026-09-21).
(4) National Institute on Aging. "NASA Twins Study reveals health effects of space flight". National Institute on Aging. 2022-01-27. https://www.nia.nih.gov/news/nasa-twins-study-reveals-health-effects-space-flight, (参照 2026-09-21).
(5) Frontiers in Space Technologies. "Molecular and physiological adaptations to spaceflight". Frontiers. 2025. https://www.frontiersin.org/journals/space-technologies/articles/10.3389/frspt.2025.1725449/xml, (参照 2026-09-21).
(6) Sibonga J, et al. "Changes in Vertebral Bone Density and Paraspinal Muscle Morphology Following Spaceflight and 1 Year Readaptation on Earth". PMC (National Library of Medicine). https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC10731107/, (参照 2026-09-21).
(7) "Lumbar spine paraspinal muscle and intervertebral disc height changes in astronauts after long-duration spaceflight on the International Space Station". PMC (National Library of Medicine). https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC5588025/, (参照 2026-09-21).
(8) Gur Laboratory. "GUR LABORATORY". University of Pittsburgh Department of Computational and Systems Biology. https://www.gurlab.csb.pitt.edu/, (参照 2026-09-21).
(9) LinkedIn. "Mert Gur - University of Pittsburgh School of Medicine". LinkedIn. 2026-08-20. https://www.linkedin.com/in/mert-gur-668a2635/, (参照 2026-09-21).
(10) Toyli A, et al. "The heart-brain crosstalk in age related cardiovascular and neurodegenerative diseases". PMC (National Library of Medicine). https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC12379454/, (参照 2026-09-21).
(11) npj Microgravity. "Review of microgravity's impact on cardiovascular and nervous systems in space exploration". PMC (National Library of Medicine). 2025-10-30. https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC12575774/, (参照 2026-09-21).
(12) Kendall RL, et al. "NLRP3 inflammasome activation in murine alveolar macrophages and related lung pathology is associated with MWCNT nickel contamination". PMC (National Library of Medicine). https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC4092209/, (参照 2026-09-21).
(13) European Space Agency. "The toxic side of the Moon". ESA Science & Exploration. https://www.esa.int/Science_Exploration/Human_and_Robotic_Exploration/The_toxic_side_of_the_Moon, (参照 2026-09-21).
(14) bioRxiv. "An integrated resource for systems-level analysis of aging hallmarks and associated genes". bioRxiv. 2026-05-29. https://www.biorxiv.org/content/10.64898/2026.05.29.728838.full.pdf, (参照 2026-09-21).
(15) University of Pennsylvania Perelman School of Medicine. "Sanghee Yun | Faculty". Perelman School of Medicine. https://www.med.upenn.edu/apps/faculty/index.php/g275/p8946738, (参照 2026-09-21).
(16) NASA Science. "Precision Health - Leveraging space to unlock the secrets of aging and disease". NASA Science. https://science.nasa.gov/biological-physical/precision-health/, (参照 2026-09-21).
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xerograv. (ゼログラヴ)の「海の星、地球のストーリー100 LIFE WITH OCEAN」は、実体験や研究に基づいた海・地球・宇宙をテーマとし、そこに息づく生命について考察するブログ企画です。
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